ここでは、私自身がどういった人間か、どういった経歴で社労士になったか、かつ開業後までの自己紹介ページです。
社労士のお仕事は人に関わるお仕事ゆえ、是非私自身の人物像を知っていただければと幸いです。
よければご覧ください(長いのと、全くの個人的なことなので、ご興味のない方はスルーしてください)。
社労士になる前
大学卒業後は一般企業に勤めていました。
そこでは経営のノウハウ、マネジメント全般、採用や経理など多くのことを学ばせていただきました。
ただ、当時では当たり前のサービス残業、休み無しなど、今では考えられない職場環境で働いていました。
そんな環境でついには体が悲鳴を上げ、結婚を機に一念発起し自分で仕事をしていこうと退職を決意しました。
運よく、FP(ファイナンシャルプランナー)として保険会社で研修制度があるとのことで紹介を頂き、研修生として入社したのち、独立することができました。
もともと、大学時代に経済や会計のゼミに所属していたこともあり、またその分野には関しては興味があったので躊躇なく取り組むことが出来ました。
とは言え、人生そうそうは順調にいかないものです。
突然、私たち夫婦に大きな試練が降りかかります。
この出来事が、私に社労士という道を与えてくれるとは、夢にも思いませんでした(当時は社労士って何?という認識しかなかったですから)。
人生を変えるほどの出来事
結婚して数年後、嫁に突然の「がん」告知…当時30代後半。
私に報告しに来たときの光景は目に焼き付いて今でも忘れません。
FPの仕事をしていた関係上がん患者さんとお話する機会もあり、「がん」に関する知識を多少でも持ち合わせていると自分では思っていたので、告知後は手術すれば大丈夫だろうとの甘い認識でいました。
とは言え、徐々に今後の不安が波のように押し寄せ、気付いたら一人で病院へ主治医の元へ駆け込んでいました。
そこは産婦人科であったため、喜びに満ちた幸せそうな家族の光景があり、私が家族の「がん」で来ていることがわからないよう目を伏せて振舞うのが精一杯の状況でした(この時は、産科と婦人科が一緒なのは人によっては酷な状況なんだなと思いました)。
主治医には私一人できたことを告げ、そこで告げられた事実が…希少がんであること、ここでは治療ができないことと大学病院など大きなところを探してきてくださいと、おまけに余命はわからないと。
ショックというか、どうすればいいんだろうというか、それ以降、どうやって帰ったのかも含めて全く記憶がありません。
それでも人間は前を向くもの…すぐに病院を探し、紹介状を書いてもらい、治療に挑むことになりました。
そこで出会った主治医がとてもオーラのある女医さん…この先生なら任せられる!と夫婦でよく話しました。
治療法は希少がんゆえエビデンスのある方法が確立していなかったため、主治医に全て委ねました。
ただ絶望したのは、この希少がんで5年、10年生きている人はほとんどいないということ。
このことは嫁には告げず、私の中にしまい込み、主治医にも私だけが知っている状況だと理解してもらいました。
これには賛否両論あろうかと思いますが、嫁の性格的なことを考慮し、また今後この「がん」と向き合うには気力もいることを鑑み、そう決断し私の心の中だけで…と言い聞かせました。
そこから私達夫婦にとって長い長い、闘病の日が始まることになります。
手術日までは日があくため、二人でウォーキングをしたりして体力をつける努力をしていました(密かに、これでがん細胞が消えてなくなればいいのにと、思っていましたが…)。
そうこうしているうちに手術日前日…前泊するので、病院へ送って行くことに。
病室は個室を希望していたのですが、空いていないということで止む無く大部屋へ。
その大部屋屋に入ろうとした瞬間、嫁の足がピタリと止まり入ることが出来ないようでした。
怖いという感情の他、まだ自分が「がん」であることが受け止め切れていないのではないかと思い、もう一度ダメもとで個室が空いていないか、看護師さんに交渉してみました。
そうすれば、一番値段の高い個室なら数日だけ空いていることがわかり、とりあえずお金のことよりも本人が手術に備える気持ちを維持できるようにだけ考え、その個室に入れてもらいました(確かに立派でした)。
手術日当時は、朝に部屋まで看護師さんが迎えにきてくれるので、私も仕事前に病院へ寄り手術室まで見送りにいきました。
手術室に入るまで見送り、無事に進めば8時間くらいは掛かると聞いていたのであとは待つだけ…私は仕事に戻りました。
仕事中にまず願っていたのは、病院から電話が掛かってこないこと…掛かってくるということは、手術が出来る状態ではなかったということを意味するからです。
とにかく祈りながら仕事をしていたように思いますが、夕方病院に戻ってもまだ手術は終わっていませんでした。
とりあえず手術できる状態ではあったことは安心しましたが、想定より時間が掛かっていた記憶があります(おそらく10時間くらいだったかと)。
その後、手術は無事成功の報告を受け、さらに抗がん剤治療を乗り越え(長くなるのでここでは割愛)、10年以及ぶ経過観察期間が始まります。
因みに、経過観察で訪れる病院での待ち時間は地獄そのものでした。
長い時は数時間待ち…悪い結果が出ないようにいつも祈りながらの時間でした。
いつの日も腫瘍マーカーの結果に一喜一憂しいていましたが、結果がいい日も悪い日も次の経過観察日まで一歩ずつとの思いで乗り切りました。
社労士試験にチャレンジ
月1回の経過観察も落ち着いたころ、自分の人生について、今後やりたいこと、自分にできることを見つめなおしました。
ここまで医療者含め色々な方の助けがあってこそ!との思いが強く、何か自分の経験が同じように困っている方の役に立てばとの思いで、社労士を目指す決意になったのです。
闘病中には医療費のこと、お金のこと、社会保険制度のことなど調べまくって、知らず知らずのうちに身についていた知識を役立てたいとの思いからです。
そうと決めてからは、仕事前の時間…頭が働く午前の時間を利用して4時起きで勉強し、平成25年無事合格できました。
とりあえず、合格にホッとしましたが、経過観察はまだまだ続くため気は抜けない日々が続きます。
開業後、お客様に助けられて…
合格後、平成27年に社労士事務所を開業しました。
これからは経過観察と社労士というお仕事の両立が始まります。
当初はもちろん顧問先がありませんので、まずは社会貢献から始めようと当時から国が推進していた「治療と仕事の両立支援」に取り組みました。
個人的に患者さんの相談に乗ったり、大阪社労士会での部会「がん就労部会」の立ち上げに加わったり、総合病院の相談員をしたり…。
そして、時間が経過するにつれお仕事を紹介していただいたり、FP時代からのお客様に声を掛けていただいたりで、少しづつではありますが顧問先が増えていきました。
そんな中でも、がん患者家族だから全力で出来ないとか中途半端だとか言われないように、とにかく仕事にはがむしゃらに取り組んでいました。
今振り返れば、家族がそんな状態でまともに仕事ができるのか…と思われ、顧問先を失うのが怖かったのかもしれません。
でも、その気持ちはある出来事で杞憂に終わります。
入院中には仕事帰り、ほぼ毎日病室まで行っていました。
病院帰りにはいつも決まったお店で晩御飯を一人で食べていたのですが、その姿をある顧問先の社長に目撃されていたのです。
そんなある日、いつものように見舞い帰り、そのお店で食事していたところ、その社長と奥様にバッタリ出くわしました。
そこで、「家でご飯食べへんのか?ここでたまに見かけるけど」と…
もうお話するしかないなと、事情を正直にお話しました(勇気いりましたが)。
でも返ってきた言葉は私の予想に反して…「何でもっと早く言わんのや。俺もそんなことあった。大変なときはお互い様や。」と、そんな感じだったと記憶しています。
一気に力が抜け、感謝の気持ちと同時に隠す必要はなく話すことは悪くないんだと気付かされた瞬間でもありました。
以降、日頃から社長夫婦には大変気遣って頂き、逐一声を掛けて下さいました。
今では、その会社も息子さんに引き継がれ、「ここの人事労務関係は全て杉本さんに任せてる」と有難いお言葉も。
それ以来、お仕事を任せて頂いている全ての顧問先様には、お仕事の関係性以上の気持ちを持って接することができるようになりました。
現在~今後
お陰様で10年の経過観察を無事終え、すでに5年以上が経過しました。
闘病時に私たち夫婦を支えてくれていた愛犬も亡くなり、その後に迎えた犬と一緒に暮らし、また仕事に関しては少しづつではありますが顧問先も増え、充実した日を過ごしています。
今まで色々な人に支えられてここまで来ました。
これからはその恩を数珠のように次へ次へと繋げていくのが私の役割です。
今回、ホームページを立ち上げようと思ったのは、今までは私のことをよく知っている方とのかかわりの中で契約や紹介を頂いたりしていましたが、今後は私のテリトリー内だけでなく、私のことをまだ知らないところ、人へと拡げていこうと思ったからです。
とは言え、自分に置き換えて考えてみて、専門家と言えど全く知らない人にお仕事や顧問契約を依頼することって、とてもハードルが高いだろうと。
多くの専門家がいる中でその人がどんな人なのか、どんな知識経験があるのかなど、会ったこともない人をどのように選ぶのかって難しいですよね。
そのような状況で契約を頂けるのって、本当に凄いことで有難いと思うんです。
それため私も自己開示をし、私自身を知ってもらった上でご縁があればいいなと思っています。
ここまで読んでいただけた方で、社労士を探している、労務関係で困っているという方は是非お問い合わせ下されば大変嬉しいです。
どうぞよろしくお願いいたします。
ここまで読んでいただきありがとうございます!
全くのプライベートです…顧問先様へ向かう途中での出来事でした。
家族の闘病経験でもそうでしたが、この事件以来、混迷する社会の中で「生きる」ということ…それは周りの方々にどれだけ支えられ助けられている中でのことか…あらためて考える機会になりました。
私も色々な方に支えられ助けていただいて、ここまで歩んでこれました。
微力かもしれませんが、今度は私が…という思いでお役に立てるよう頑張ってまいります!

